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会社経営と家庭のストレスで薬に依存している兄のピエール、支配的で頑固なオバサン教師のクララ、アルコール漬けで家族にも見捨てられ一文無しの弟のクロード。互いを認めず険悪な仲の兄姉弟が、亡き母親の遺産を相続するため、フランスのル・ピュイからスペインの酉の果て、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで1500kmにも及ぶ巡礼路を一緒に歩くはめになった。

無神論者の上に歩くことなど大嫌い、仲も険悪な3兄弟が、物欲の炎を燃やしつつ遥かな旅路の第一歩を踏み出した。2ヶ月かかる長旅の連れとなるのは、母親のためにイスラムのメッカへ行くと思い込んでいるアラブ系少年やワケありな女性など個性的な面々。それぞれの事情を背負って歩き始めた彼らを待っているものは…?
ホワイト&アイスブルー
ホワイト&プレシャスピンク
tekutekuangel.jp
楽しく歩育(ハートマーク)ウォーキング。あなたが歩けば歩くほど、キャラクター「ジェル君」が成長。毎日歩いてジェル君をエンジェルへと育てましょう。サボってばかりいるとジェル君は家出しちゃうかも?!ジェル君の成長があなたのやる気を後押しします。
お名前・郵便番号・住所・電話番号・年齢・ご希望カラーを明記の上、 下記までご応募ください。
〒111-0043 東京都台東区駒形2-4-5 駒形CAビル4F 株式会社ハピネット ピクチャーズユニット「サン・ジャックへの道」てくてくエンジェル係
※当選発表は発送をもってかえさせていただきます。
※応募券の複製による申し込みは無効となります。
※応募いただいた際のお客様の個人情報は商品の発送、ならびに弊社商品のご案内のみに使用させていただきます。

ハリウッドでも『スリーメン&ペビー』(87)としてリメイクされ大成功を収めた『赤ちゃんに乾杯!』(85)から前作の『女はみんな生きている』(01)まで一貫して辛辣なューモア感覚で社会と人間を見つめた作品を手掛けてきたコリーヌ・セロー監督が、舞台を美しい自然溢れる巡礼路に移し、余計なものをそぎ落とした生身の人間同志の触れあいや心の動きを、より大きな視点で爽やかに描き出した。それが『サン・ジャックヘの道』だ。フランスで起きている巡礼ブームに後押しもされ、本国で公開されるや80万人を動員するヒットとなった。ヨーロッパでもっとも人気の高い巡礼路が持つ自然の美しさや文化的遺産の魅力だけでなく、そこに描かれたすばらしき人間賛歌に人々は心から魅了されたのだ。

生きる過程で作られてしまった殻を破って、他者を受容する柔らかな心を再生してゆく登場人物達の気持ちと同調するように風景は、その美しさを増す。グリーン・スベインと呼ばれる緑濃い丘陵地帯に続く美しい自然溢れる世界遺産の巡礼路。終着点てあるサンティアゴ・デ・コンポステーラにそびえる荘厳なる大聖堂、さらにはヨーロッパ西端の海の輝きを目にしたとき、映画を見る者は、共に1500kmの旅をするして来たような不思議な達成感に包まれる。そしてまた、登場人物達と離れがたい感情に心揺さぶられることだろう。

商品詳細

会社経営と家庭のストレスで薬に依存している遺産なんて欲しくない

夫は失業中で家族の大黒柱、支配的で頑固な性格のオバサン教師

アルコール漬けで家族にも見捨てられ一文無し。お酒さえ飲めればどこへでも行く

楽しい山歩きと勘違いしてお気楽に参加した仲良しふたり組

巡礼ツアーのベテランガイド。険悪な仲の兄姉弟に手を焼かされ放し

頭をターバンで包んだ物静かな女性

カミーユを追って参加したアラブ系移民の少年

イスラムのメッカに行けると信じてツアーに参加

スペイン北西部に位置する中世の面影を残す街、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教三大聖地のひとつ。9世紀にキリスト12使徒の一人である聖ヤコプの墓がこの地で見つかったとされ、11〜12世紀には多くの巡礼者を集めた。

巡礼路のシンボルはホタテ貝で、サンティアゴの方角を示すサインとして路のあちこちに見かけられる。

フランスからサンティアゴを目指す巡礼路は、主に4コースあり、映画は、フランス南東部の街ル・ピュイから出発し、中央山地からピレネー山脈を越えてスペインヘ、ひたすら西へと向かう最も景観の美しい約1500kmのコースを描いている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラのコンポステーラとは、「星の平原」という意味を持つ。サンティアゴは、聖ヤコプのスペイン語。フランス語ではサン・ジャック、英語ではセイント・ジェイムスとなる。

■ノートル・ダム大聖堂
12世紀のロマネスク様式の大聖堂。聖堂内には伝説の「黒いマリア像」があり、現在も多くの人が訪れている。

■サン・ピエール修道院
12世紀のロマネスク様式の教会。回廊の柱頭彫刻とタンパン(入口上部の装飾)はロマネスク彫刻の傑作。

旧市街のサンジャックの門から聖地サンティアゴまで約800km。この街から歩き始める人も多く巡礼の宿場町となっている。

■ブルゴスのカテドラル
(大聖堂)
13世紀から300年の月日をかけて建てられたゴシック様式のカテドラル。トレド、セビーリヤと並ぶスベイン三大カテドラルの一つ。

■カスティーリヤ平原
ブルゴスからレオンまでの約200kmは平坦な道がどこまでも続く。メセタと呼ばれる赤茶けた大地を歩き続ける。

■レオンのカテドラル(大聖堂)
14世紀に完成したゴシック様式のカテドラル。大きなバラ窓と内部のステンドグラスはスペイン一美しい。

■サン・ピエール修道院
12世紀のロマネスク様式の教会。回廊の柱頭彫刻とタンパン(入口上部の装飾)はロマネスク彫刻の傑作。

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■ノートル・ダム大聖堂
12世紀のロマネスク様式の大聖堂。聖堂内には伝説の「黒いマリア像」があり、現在も多くの人が訪れている。

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大西洋に面したスペイン最西端の街。フィニステレとは「地の果て」という意味を持つ。この街を訪れて巡礼の旅を終える。

一巡礼というアイディアはどこから生まれたのですか。

巡礼という行為はとても古くからあったものです。昔からどんな社会でも、人が住み慣れた家を発って、自分探しのためにどこかに行くという行為はありました。何かを探しに行くという口実がある場合もありますが、ほとんどは自分自身を発見するためだと思います。そうした習|貫のなかで、今日ではヨーロッパ、特にフランスとスペインではサンジャックに巡礼に行くのがとてもポピュラーになりました。巡礼というのはまた、自分探しと同時にもうひとつの生活様式を発見する行為だと思います。この車社会のなかで自分の足だけを使って大自然のなかをひたすら歩く、とてもエコロジカルな行為で、それもわたしが興味を引かれた点です。甘やかされた人間たちがいきなり何もない大自然のなかに放り込まれたらどうなるか、現代社会の問題を浮き彫りにするのにぴったりだと思ったのです。

一巡礼が人を浄化させる、あるいは覚醒させるという考えについてはどう思いますか。

その通りだと思います。ただしそれは宗教的なコンテクストではなく、巡礼というのが身体を使う、オーガニックな行為だから。身体と当時に心も変容させられるのです。わたしは無神論者なので宗教的な理由からではありませんが、歩くのは大好きなので、時間があるときによく山歩きに出て、同じような経験をします。心と身体は繋がっているもの。日頃はオフィスワークばかりのわたしたちにとって、自然と向き合って身体を解放させることは必要なことなのではないでしょうか。

一みんなと団体行動をするということも、日頃自分のことしか頭にない人間にとっては逆に浄化作用があるのかもしれませんね。

その通り。なぜかといえば、他の人と一緒に行動することによって他人の痛みも見えてくるからです。そして他人の痛みを知ることで逆に自分が癒される。特に今日のようにどんどん自閉的な人間を作る自閉症の社会では、自分だけが痛みを持っているわけではないこと、孤独じゃないのだと知ることはとても大切なことです。

一映画のなかで人々が徐々にエゴを捨てていくに連れ、みんながだんだんと景色の美しさに気づいていく、そして映画自体も、景色の美しさを強調していく点も印象的です。

そうやって徐々に自然と関わりを持っていくことで孤独が癒されていく様子を表したかったのです。夜の闇のなかではみんな孤独だけれど、昼間の大地の自然に囲まれた中では、人は安らぎを見いだすのです。それに自然は母なるものです。わたしたちは父権的な社会に生きていますが、本当に守ってくれるのは父権的なものではなく、母性的なものであり、自然は母性的なものの象徴です。

一あなたの映画ではいつも、性格も住む世界も異なる人々の人物像がとてもよく描かれています。どうやったらそれほど人間観察に長けることができるのですか。

ふだんから人の話をよく聞くし、人とお喋りをするのが好きだからでしょう(笑)。たぶんわたしの育った環境や受けた教育のおかげだと思います。わたしの両親はアーティストでした。父(ジヤン=マリー・セロー)は戦後の演劇界でよく知られた演出家で、母(ジュヌヴィエーヴ・セロー)は作家。教養豊かなインテリ層で、彼らの教育を受けてわたしは育てられました。その一方で特に母方の家族はとても貧乏でした。ですから、わたしが小さい頃は貧しさゆえの苦労もよく味わったのです。ふたつの異なる世界を経験して育ったおかげて、さまざまな階級の人とも同じように会話を楽しめるのだと思います。大統領とも労働者とも、気楽に話すことができますよ(笑)。わたしは人間そのものに興味があります。だから人と話をするのが好きだし、一生懸命聞いてくれる相手がいれば、相手も自然と話をしてくれるようになるものです。

一三兄弟を主人公にしようと思ったのはなぜですか。

恋愛ドラマはうんざりなのです。誰と寝る、寝ない、彼を裏切る、裏切らない…そういう男と女のドラマは腐るほどあるでしょう(笑)。それに引き換え兄弟や姉妹の話はそれほど多くはない。同じ両親に育てられながらも性格がまったく違うとか、兄弟同士が嫉妬しているとか、葛藤があるとか、面白くなる要素はたくさんあります。それに兄弟や姉妹というのは関係が近い分、対立も激しくなるし、愛憎関係はとても激しいものになる。いねば他者との最初の重要な絆で、それを解決できなければ、その後の人生でも同じようなことを繰り返すだけだと思います。

一あなたの作品にはいつも社会的なテーマが盛り込まれていて、それゆえにあなたのことを社会派監督と呼ぶ人もいるようですね。

それは間違いではありません。わたしが興味があるのは社会をみつめ、理解し、その行方を見守り、そして闘うことでもあるからです。でもそれだけじゃなく、アーティストとして審美的な面にも気を配っているし、ポエティックなものを作りたいと思っています。

一あなたの映画ではまた、女性は芯が強くて目的意識があるのに、男性のほうは優柔不断で目の前のことに振り回されてばかりという状況がよく描かれますが、これは日頃あなた自身が抱いている印象に拠るものですか。

それも現代の社会を反映したものですよ(笑)。わたしたちは今ちょうど過渡期の、女性が徐々に力を持ち始めた時期にいます。彼女たちがさまざまな職種で少しずつ権力を持ち、活躍の場を得ている。それは前世紀から今に至る大きな変化で、わたしはシネアストとしてそれを語る義務があると思うのです。それに女性が社会参加をする世の中のほうが、経済力も出てくるでしょう。彼女たちは人口の半分を占めているのですから。逆にもしも明日、職場から女性が全員いなくなったとしたらどうなるか想像してみてください(笑)。忘れてならないのは、抑圧や搾取は一日にしてなくならないということ。人類は発展と減退を繰り返し、その進歩はとてもゆっくりしたものです。だからこうした問題を繰り返し描いていくことが大切なのです。

インタビュー・文佐藤久理子(映画ジャーナリスト) 2006年10月パリにて