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ニュージーランド南端の小さな町。一人暮らしの老人バート・マンローは、今日も暗いうちから爆音を轟かせる。近所迷惑このうえないこのバイクこそ1920年型インディアン・スカウト。バートの夢はバイクライダーの聖地アメリカ・ユタ州のボンヌヴィル塩平原でスピード世界記録に挑戦すること。心臓発作の持病にもめげず、彼は貨物船にコックとして乗り込み、単身アメリカへ。ポンコツ車に取り付けた手製トレーラーに愛車を載せて西海岸からユタ州を目指すのだった。

本作は還暦を過ぎても夢を追いかけることをやめず、ついには1000cc以下の流線型バイクの世界最速記録を樹立してしまった男の物語。しかも実話である。男の名はバート・マンロー。舞台は1960年代、ニュージーランドの小さな町インバカーギル。ガラクタだらけの家に独り暮らす彼は、今日も愛車1920年型インディアン・スカウトの改造に精を出す。隣の家に住む少年から借りた肉切り包丁でタイヤを削ったり、他社のピストンを溶かしてオリジナルのピストンを作ったりと、その徹底したローテクぶりが楽しい。彼にはこのマシンを駆って世界最速を実現するという悲願があるのだ。目指すはスピ ードの聖地、アメリカ・ユタ州のボンヌヴィル塩平原。しかし、心臓に持病を抱え、お金もない。それでも型破りな行動と、行く先々で人々の心をつかんで放さない人柄で、難題を次々とクリアしていく。実在の人物を扱った映画は数多いが、ここに描かれる主人公バートほどユニークで、しかも気持ちのいい魅力の持ち主にはめったにお目にかかれないはずだ。

この愛すべきやんちゃオヤジを演じるのはオスカー俳優にして本国イギリスではサーの称号で呼ばれる名優中の名優、アンソニー・ホプキンス。『羊たちの沈黙』以来、エキセントリックな役柄が続いたが、ここでは思い切りポジティブな(そして少々風変わりな)老人を闊達に演じている。脚本を読んですぐに出演を快諾したという。

その脚本を書き、メガホンをとったのが『スピーシーズ/種の起源』『13デイズ』のロジャー・ドナルドソン。オーストラリア生まれの彼は20歳のときにニュージーランドに移住。そこで生前のバートに出会い、テレビ用のドキュメンタリーを製作。その後、バートが亡くなった翌年の1979年に本作の企画を立ち上げたというから、実に四半世紀越しの映画である。ドナルドソンはそれほどまでにバートという人物に魅了されたのだ。彼はこう語る。「大志や夢を抱くことについて彼は面白い人生哲学を持っていた。それこそバイクのこと以上にこの映画が伝えたいことなんだ」。

アンソニー・ホプキンス扮するバートは劇中で度々その人生哲学を口にする。「夢を追わない人間は野菜と同じだ」「顔にしわはあっても心は18歳だ」「危険が人生に味をつける。リスクを恐れてはいかん」。どれも説教臭さがないのがいい。それはこの映画全編に流れるトーンでもある。夢に挑み続けた主人公を描きながら、この手の作品にありがちな努力や根性といったベタついた主張が匂わないのだ。しかも素晴らしいロードムービーである。

ニュージーランドからボンヌヴィルへと向かう旅の途中で、バートはさまざまな人に出会う。不良バイカーの集団、オカマの黒人、ネイティブ・アメリカン、砂漠に一人で暮らす未亡人、ベトナム休暇兵…。背景にニュージーランドとアメリカの文化や価値観の違いがありながら、バートに出会った人たちはつい自然に心を開いてしまう。一つひとつのエピソードがファンタジーのように輝き、バートが天使のごとき存在に見えてくる。クライマックス、天使がバイクで真っ白な大平原を駆け抜ける姿は最高にスリリングで美しい。

商品詳細

1899年、ニュージーランドの南端インバカーギル生まれ。15歳でバイクに乗り始める。21歳のとき、生涯の相棒となる1920年型インディアン・スカウトを購入。最高時速80キロ台だった同車の改良を開始し、1948年以降は仕事を辞めてあらゆるパーツの改良に没頭する。国内のロードレースで次々にスピード記録を塗り替え、1962年、アメリカのボンヌヴィル塩平原で時速288キロの世界記録を達成。以後、70歳過ぎまで毎年のようにボンヌヴィルに出向き、1967年に時速295・44キロの自己記録を更新、片道走行では時速305・89キロのインディアン最速記録も樹立した。本作でその偉業が広く知られ、2006年にモーターサイクル殿堂入りを果たした。。

1901年、マサチューセッツ州の工場で販売が開始されたエンジン付き自転車。その名前はネイティブ・アメリカンの人々のように自由に鉄の馬を走らせたいという憧れからつけられた。国内のレースで連戦連勝。圧倒的な耐久性とパワーで後発のハーレー・ダビッドソンなどを引き離し 1として君臨したが、第2次世界大戦後、英国製の安価なバイクに押され、1953年に工場閉鎖。伝説のバイクとして語り継がれていくことになる。なお、新たな工場が1999年にインディアンの生産を再開した。

レーシング・スーツ
結婚式で着た黒い毛のシャツとズボン。それ以上厚い革ジャンを着るとカウル(流線型の風よけのヤツ)の中に入れないらしい。ズボンの裾は靴下につっこむのが正しい

スピードメーター
付いてない(ありえないっ!)

ブレーキ
あまり効かない。「止まるつもり」は無いらしい(パラシュートと消化器積んでるのが常識)

サスペンション
板バネ式(……。)

ガソリン
ここ一番の勝負では、ガソリンタンクにスペシャルタブレットを投入(ドーピングか!)

タイヤ
スリックタイヤが無いので、普通のタイヤの溝をナイフで自分で削っている(狂ってる!)。因みにナイフも隣の家から借りた。
オイルタンク
カバーは台所の古いドア(!?)

エンジン
ベースは600cc42度V型ツインサイドバルブ(超古い)

オイルキャップ
軽量化のため、ブランデーのコルク使用(ほんとは金がない?)

ハンドリング
直線番長仕様なので、コーナーは弱い。とにかく速ければいいのだ(ある意味一途)

排気管
とにかくスピードを出すので熱がこもる。ブーツを持っていないので熱さとの戦い(Oh My God!)

ピストン
自作のオリジナルピストン。材料は「フォード」と「シボレー」のピストンを溶かして作る。36年型シボレーのピストンはチタンが使われており、この時代にしてチタンが有効と理解しているところがオタクの極み。で、家で飲むお茶はチタンのニオイ

「バート・マンローの霊がいっしょにいたのかもしれない」

ロジャー・ドナルドソンと仕事するのは実に20年ぶりのことだった。脚本を読んでみて、すぐに面白いと思った。とてもユニークな物語で、ハリウッド大作のドンパチものと違って、きちんと人間の機微が書けている。僕自身、真の勝利者を演じることは大きな変化になる。変質者や神経質な人間を演じることが多くて、うんざりしていたからね。

もともと僕はすごくハッピーな人間だから、バート・マンローの人生哲学や気性はとても合っているんだ。人生を目一杯生きる、それが彼の人生哲学だ。そして彼はスピードを愛していた。スピードに伴うスリルが好きだったんだ。バイクでスピードを出す5分間は一生に勝るとも言っているくらいだから。その点、僕は慎重なドライバーだよ。若いときはスピードを出すこともあったが、今は長く生きたいからね(笑)。

ロジャーはとても冷静沈着な監督だね。スタッフもここ何年もの間に出会った中で最高だった。僕は彼らが準備している間、セリフを覚えて自分の仕事をするだけさ。もしかしたら、バートの霊が僕らといっしょにいてくれたのかもしれない。愉快な男だったようだからね。女好きだし、ユーモアもある。そんなバートが大好きさ。偉大であると同時に、ものすごく寛容な男だったと思う。

「自分を信じ、自分の夢を叶えられると信じていた男の物語なんだ」

バート・マンローに初めて会ったのは1971年の冬の夜。世界最速のバイクを持つ老人がいると聞いて、連絡をとったら「すぐ見に来い」と言うんだ。僕らがドキュメンタリーを撮らせてくれと訪ねていったら、とても喜んでくれてね。夜も遅いのにさっそくバイクを外に出してエンジンをかけるんだ。鼓膜が破れそうな爆音に、近所中から怒鳴り声が上がったよ(笑)。バート・マンローとはそういう人だった。完成した作品『Offerings to the GOD OF SPEED』は73年にテレビで放映され好評だった。タイトルはバートの小屋の中に、チョークで書かれていた言葉なんだ(笑)。

その後もバートのことが忘れられず、78年に彼が亡くなった後、長編映画をつくることを決心した。自分を信じ、自分の夢を叶えられると信じていた男の物語をね。資金提供の申し出も何度かあったが、もっと「売れる」作品になるように脚本を書き直すことが条件だった。そのつもりはなかったし、思い通りに撮れる日が来るまで待つ覚悟はできていた。ここまでの道のりは辛く、長く、厳しいものだったけど、バート・マンローのスピリットを捉えた、妥協のないエンターテインメント作品を完成させることができたと思う。「自分を信じ、自分の夢を叶えられると信じていた男の物語なんだ」